足元のユビキタス

テレビ番組で、大物芸能人が「自分は携帯を持たないから、公衆電話が減っていくのは困っている」と、語っていました。

ユビキタス (Ubiquitous) とは、それが何であるかを意識させず(見えず)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のこと

ユビキタス - Wikipedia

かつては公衆電話の進化に期待をしていたのです。

音響カプラーを使用してパソコン通信をした時代がありました。
灰色の電話ではISDN網を利用して、公衆電話に直接、通信線を接続するまでに進化しました。
テレホンカードの代わりにICカードが登場しました。

このまま進化すると、ICカードを1枚持っているだけで、公衆電話機についたモニターで、あらゆる情報が入手できるようになるのだと思っていたわけです。SF映画でもそんな感じで町中に端末があって、ついでに管理社会が到来するというおまけもついているのです。

ところが、公衆電話は携帯電話に取って代わるようになりました。携帯電話は過渡期の手段であって、公衆電話の撤去はユビキタス社会に向かう進化の中での逆戻りだと思うわけです。

携帯電話は基本的にトランシーバーと同類で、山の中や何にもない屋外での通信手段で、電話網が貧弱な発展途上国でこそ役立つものです。

日本の都市といえる場所では、トランシーバーに頼らなくても、「いつでも、どこでも、だれでも」まちの至るところにある端末から情報にアクセスできる状況がふさわしいのです。カード1枚あれば、携帯がなくても不自由しないなら、ユビキタス社会到来といえるでしょう。

携帯電話は都会から離れるときにしぶしぶ持つもので、ユビキタスとは違うと思うのです。