「不幸」な人を「最小」限にする社会

あけましておめでとうございます。

後ろ向きの表現「最小不幸」

現政権の代表が、マニュフェストに掲げた「最小不幸社会」は、評判が悪いようです。ネットでの声を眺めてみたところ、次のような理由が挙げられるでしょう。

  • 後ろ向きな表現。
  • 政府が国民に示す一番の言葉としてはふさわしくない。
  • 言葉の定義があいまい。

なんとなく良い事だと印象がありますが、その表現が、損をしていると思うところです。

[参考サイト]
「最小不幸社会」で何が悪い?: H-Yamaguchi.net
ネットでは珍しく、擁護派です。内容を把握するためのご参考まで。

「不幸」を「最小」に

「「不幸」な人を「最小」限にする社会」というのが、真相ではないかと思うのです。略して「不幸最小社会」です。語順を逆にしただけですが、こちらの方が意味が通ると思うのです。
ここで必要になるのが不幸の定義でしょうが、「生きていけない」ことが最大の不幸だと考えます。勝者がいて、敗者がいるのは納得できるとして、敗者が命を落とさないよう、救いの手を受けるのは、憲法を持ち出すこともなく、最小限の権利でしょう。

[参考サイト]
nagaitosiya.com
日本には人口増を意識的に抑制する時代があったようです。でも今の日本では、全ての人が生きる権利を持つということを当然としたいものです。

市町村レベルでは必要な視点

どうやら、政府には前向きなアピールが求められている様です。
でも市町村レベルでは、少数派をきちんとサポートして欲しいものです。
本家サイトでは、まちづくりのレベルで、「不幸」な人を「最小」限にする「最小の構成」を考えています。

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